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ピアノの音色が与えた使命

Established 1930 Our History

始まりは、ヨーロッパの響きへの憧れ。

1930年(昭和5年)。ピアノ1台買うお金で家が1軒が建つという、ピアノがまだ国内ではとても稀少であった時代に私たちの歴史は始まりました。
若い頃からヨーロッパの楽器への強い憧れと情熱を抱いていた創業者は、現在とは比べものにならないほど極めて限られた環境の下で、弟子入りや文献を通じてピアノの技術や知識を習得し、現会社所在地に「番田ピアノ研究所」を設立。ドイツのピアノメーカー、グロトリアンや、デイネルトの部品を仕入れて、それらの組み立て販売、及び修理業務を行い、邦人や中国人5・6人の職人と共にじっくりと時間をかけたピアノの製作をしていました。当時は、現在のような物に恵まれた時代ではなかったので、職人たちは、多くの道具類を自らの手作りで製作し、それらを駆使して仕事をしていました。また自動車も殆ど無く、修理するピアノを手押し車に載せて、数十キロの道のりを丸一日かけて運んでいたような、そんな時代でした。第二次世界大戦では、神戸大空襲を経験しましたが、幸いにも社屋は被害を受けなかったため、戦後復興の際、所有していた豊富な部品類を日本楽器製造株式会社(現ヤマハ株式会社)へ提供して生産を手助けし、業界の一早い再建に尽力しました。

catalog.jpgデイネルトのカタログ

理想に描く、最高品質のピアノを求めて。

そして工房は、二代目へと引き継がれます。1966年「日本レンターピアノ株式会社」を設立。若くして技術的ノウハウを先代から吸収し、その恵まれた技術環境を最大の強みとしながら、販売や時代のニーズに合わせたレンタル業務にも着手。その後社号を「日本ピアノサービス株式会社」へと改称しました。前スタインウェイ総輸入元、松尾楽器商会の関西特約店となり、同商会が関西に営業所を出店するまでの長期に渡り、関西圏の一般顧客及びコンサートホールへのスタインウェイの販売や修理メンテナンスの拠点として業務を担いました。そして、様々なメーカーのピアノの修理も手掛けながら、数多くのスタインウェイに触れる過程で、二代目社長は次第にこの唯一無二の名器の偉大さに惚れ込み、以前にも増した体制でスタインウェイの販売と技術分野に力を注ぎ込むようになりました。ところが、その過程である頃から近年製造されたスタインウェイの品質を疑問視し始めるようになり、結果、自らが本当に納得できるクオリティーをもつ楽器だけを取扱うことを決断。2000年、特許庁の認可を受け‘Art-Vintage’の称号を取得。当社独自の高い品質基準を設け、良き時代の「名器」を表現するに相応しい、全く新しいカテゴリーのピアノの提供をはじめました。また、二代目社長は1993年から2008年の間に3冊の書籍を出版。近年、変わりゆくスタインウェイの様子やヨーロッパと日本の楽器の違いを、経験を通じて得た独自の視点から鋭くとらえた内容が話題を呼んできました。現在は、創業以来80年以上に及ぶ国内屈指の経験と実績を元に販売、調律、修理業務を手掛けています。阪神エリア(神戸、芦屋、西宮、尼崎、伊丹等)や大阪エリアの数々のコンサートホールが所有するピアノのメンテナンスも専属で行い、レンタル、販売サービスと併せて、これまでに大勢の来日及び邦人アーティストの演奏活動をサポートしきました。

S-catalog.jpg以前のスタインウェイのカタログ

そして、ピアノが大切な人を傷つけないために。

一方当社では、1978年に起こった大震災「宮城沖地震」で、ピアノによる多くの人的被害がでたことを教訓にし、以来ピアノの地震対策用品の開発にも着手して参りました。特に地震時のアップライトピアノの転倒、暴走の危険性を重視し、国内最大規模の大型実験施設を用いた公開実験を実施するなど、度重なる実験を繰り返しながら、より信頼のおける製品の開発に尽力して参りました。その結果当社の製品は「特許」または「実用新案」を取得。1995年の「阪神大震災」においても尊い人命を救い、その耐震効果は証明されました。そして震災後、神戸市教育委員会に認められ、神戸市立の全幼稚園、小中学校、養護学校の全てのピアノに設置。その後も全国各地の公共施設及び個人宅への納入実績を積み重ねてきた当社は、ピアノの地震対策のパイオニア的存在としても30年以上の実績を誇ります。

npjishin.jpg当社の開発した製品を取り上げた新聞記事
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