サンケイホールブリーゼ 開場記念誌 より
二台の貴婦人 ー スタインウェイピアノの物語 ー
 
 
 2005年が明けて間もなくのある日、大阪梅田のサンケイホールが建て替えを計画しているが、ホールにはフルコンサートグランドピアノのスタインウェイが2台あり、建て替えの際これらのピアノをどうするべきか考えあぐねているので、一度ピアノをよく見て判断していただけないか、との申し入れを受けた。
私は直ぐにこの2台のスタインウェイピアノの下見をすませ、状態と私の考えをお伝えした。そしてその結果、現在販売されている新品のスタインウェイピアノとこの2台を入れ替えることはせず、2台共当社で完全リビルトすることに決定した。そしてその全権を担い2008年8月の新ホール完成時には、必ず完全復元してお届けできるようにお約束した。ホールに置かれていたこのピアノは、2台共スタインウェイ社のドイツ工場(ハンブルグ)で製作されたフルコンサートグランドピアノで1台は1953年製、もう1台は1960年製でともに半世紀の年を経ている。
この時代に作られたスタインウェイピアノは当時から世界の逸品と言われていたスタインウェイピアノの中でも最も完成度の高い時代のもので、その復元力も素晴らしく最高の逸品の2台であった。2006年7月に当社に引き取った2台のピアノを詳しく調べたところホールでの永年の使用期間中に、数回内部の部品などの取り替え修理は行われていたが大修理ではなかった。

まず長年の使用で経年変化したこれらのピアノの響鳴板、ピンブロック、本体の脚を取り替えるために2台をニューヨークにある信頼できるピアノ工房に送り作業を依頼した。この間に外しておいたアクション部分を当社で解体し、消耗してしまった部分の取り替え、調整を完全に行った。やがて2007年2月にニューヨークから2台のピアノ本体が戻ってきたので大塗装をして2008年1月に完了した。その後再度アクション部分の調整を入念に施し2008年7月に復元に至った。
すべてを終えた今、再び皆様に満足して戴ける音色を聴いてもらえることが無上の喜びだったのである。

番田 耕治(日本ピアノサービス株式会社 前代表取締役)
 
 
・希代の女優スタインウェイ
ピアニストや作曲家で、この名を知らない人はいないだろう。コンピューター上で作曲ができ、ITの力でどんな音色も作り出せる現代においても、このピアノは別格。世界中の作曲家やピアニストから強い憧れと賞賛を受ける特別な存在だ。
スタインウェイ・ピアノの魅力を一言で言うと、舞台での演技に定評のあるベテラン女優といったところ。
たとえば、欧州産のピアノが華奢な人気モデルであるとすれば、米国メーカーのスタインウェイ&サンズ社が作るピアノは本格派舞台女優であろうか。彼女がいったん舞台に立つと、堂々とした迫力と深く響き渡る音色に、皆が圧倒され、魅了される。7オクターブの音域を持つオペラ歌手ともいえるだろう。
 
・ホールにやってきたピアノたち
今から半世紀以上も前の1952年、戦後まもなくのこと。サンケイホール野開館直前にスタインウェイ・ピアノはやってきた。当時、敗戦国の日本でスタインウェイ・ピアノを所有するホールはほとんどなく、関西ではサンケイホールのみ。一時はなんと3台のスタインウェイ・ピアノを所有し、その3台を並べて行われた朝比奈隆指揮のピアノコンサートは大きな注目を集めた。
以来、サンケイホールはスタインウェイ・ピアノを継続して使用し、2006年の閉館時には、D-274コンサート・グランド製造番号No.344084(1953年製造)とNo.368250(1960年製造)の2台を所有していた。神戸在住のピアノ技術者、番田耕治氏によると、製造番号30万~43万番台(1941年~1973年)のピアノはスタインウェイの中でも特別だ。1970年代の工場の機械化と1980年代の企業売却による、製造環境の変化やノウハウ伝承の断絶で、1970年代以降のスタインウェイ・ピアノの音は、それ以前の時代のものとは変ってきているというのだ。

・ヴィンテージ・スタインウェイ
番田氏がニューヨークのスタインウェイ・ピアノ工場を訪れたときのエピソードである。ピアノ工場の技術者は、番田氏に「我が社には完璧な設計図がある。だから高品質なものが作れるのだ」と胸を張っていた。しかし番田氏は切り返して言った。「設計図があってもそこには載っていないコツというものがある。料理番組で見たとおりに作った料理がまったく同じ味に仕上がるとは限らないだろう」
料理を作るときには火加減や調味料を入れるタイミングが少し違えば、味も変わる。そういったことがピアノの音色にも言えるのではないか、ということである。
さて話を戻すと、スタインウェイ・ピアノの製造番号が43万番台に到達したのは1973年。その少し前の1967年には、スタインウェイ&サンズ社の業績がマイナスに転じている。つまり1967年以前に作られたピアノは、20世紀におけるスタインウェイ&サンズ社の製造環境と経営現場の「もっともよき時代」に作られた作品といえる。
サンケイホールの2台のスタインウェイ・ピアノは53年の歴史に醸成され、ヴィンテージと呼べる、価値あるピアノとなっていた。そして、創業者であるスタインウェイ一族の思想と技術が詰め込まれた、最後の時代のピアノとして、サンケイホールで数々の名アーティストと共演を重ねたのだった。
(M.I)
 
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サンケイホールブリーゼ 開場記念誌 より
二台の貴婦人 ー スタインウェイピアノの物語 ー
 
 
 2005年が明けて間もなくのある日、大阪梅田のサンケイホールが建て替えを計画しているが、ホールにはフルコンサートグランドピアノのスタインウェイが2台あり、建て替えの際これらのピアノをどうするべきか考えあぐねているので、一度ピアノをよく見て判断していただけないか、との申し入れを受けた。
私は直ぐにこの2台のスタインウェイピアノの下見をすませ、状態と私の考えをお伝えした。そしてその結果、現在販売されている新品のスタインウェイピアノとこの2台を入れ替えることはせず、2台共当社で完全リビルトすることに決定した。そしてその全権を担い2008年8月の新ホール完成時には、必ず完全復元してお届けできるようにお約束した。ホールに置かれていたこのピアノは、2台共スタインウェイ社のドイツ工場(ハンブルグ)で製作されたフルコンサートグランドピアノで1台は1953年製、もう1台は1960年製でともに半世紀の年を経ている。
この時代に作られたスタインウェイピアノは当時から世界の逸品と言われていたスタインウェイピアノの中でも最も完成度の高い時代のもので、その復元力も素晴らしく最高の逸品の2台であった。2006年7月に当社に引き取った2台のピアノを詳しく調べたところホールでの永年の使用期間中に、数回内部の部品などの取り替え修理は行われていたが大修理ではなかった。

まず長年の使用で経年変化したこれらのピアノの響鳴板、ピンブロック、本体の脚を取り替えるために2台をニューヨークにある信頼できるピアノ工房に送り作業を依頼した。この間に外しておいたアクション部分を当社で解体し、消耗してしまった部分の取り替え、調整を完全に行った。やがて2007年2月にニューヨークから2台のピアノ本体が戻ってきたので大塗装をして2008年1月に完了した。その後再度アクション部分の調整を入念に施し2008年7月に復元に至った。
すべてを終えた今、再び皆様に満足して戴ける音色を聴いてもらえることが無上の喜びだったのである。

番田 耕治(日本ピアノサービス株式会社 前代表取締役)
 
 
・希代の女優スタインウェイ
ピアニストや作曲家で、この名を知らない人はいないだろう。コンピューター上で作曲ができ、ITの力でどんな音色も作り出せる現代においても、このピアノは別格。世界中の作曲家やピアニストから強い憧れと賞賛を受ける特別な存在だ。
スタインウェイ・ピアノの魅力を一言で言うと、舞台での演技に定評のあるベテラン女優といったところ。
たとえば、欧州産のピアノが華奢な人気モデルであるとすれば、米国メーカーのスタインウェイ&サンズ社が作るピアノは本格派舞台女優であろうか。彼女がいったん舞台に立つと、堂々とした迫力と深く響き渡る音色に、皆が圧倒され、魅了される。7オクターブの音域を持つオペラ歌手ともいえるだろう。
 
・ホールにやってきたピアノたち
今から半世紀以上も前の1952年、戦後まもなくのこと。サンケイホール野開館直前にスタインウェイ・ピアノはやってきた。当時、敗戦国の日本でスタインウェイ・ピアノを所有するホールはほとんどなく、関西ではサンケイホールのみ。一時はなんと3台のスタインウェイ・ピアノを所有し、その3台を並べて行われた朝比奈隆指揮のピアノコンサートは大きな注目を集めた。
以来、サンケイホールはスタインウェイ・ピアノを継続して使用し、2006年の閉館時には、D-274コンサート・グランド製造番号No.344084(1953年製造)とNo.368250(1960年製造)の2台を所有していた。神戸在住のピアノ技術者、番田耕治氏によると、製造番号30万~43万番台(1941年~1973年)のピアノはスタインウェイの中でも特別だ。1970年代の工場の機械化と1980年代の企業売却による、製造環境の変化やノウハウ伝承の断絶で、1970年代以降のスタインウェイ・ピアノの音は、それ以前の時代のものとは変ってきているというのだ。

・ヴィンテージ・スタインウェイ
番田氏がニューヨークのスタインウェイ・ピアノ工場を訪れたときのエピソードである。ピアノ工場の技術者は、番田氏に「我が社には完璧な設計図がある。だから高品質なものが作れるのだ」と胸を張っていた。しかし番田氏は切り返して言った。「設計図があってもそこには載っていないコツというものがある。料理番組で見たとおりに作った料理がまったく同じ味に仕上がるとは限らないだろう」
料理を作るときには火加減や調味料を入れるタイミングが少し違えば、味も変わる。そういったことがピアノの音色にも言えるのではないか、ということである。
さて話を戻すと、スタインウェイ・ピアノの製造番号が43万番台に到達したのは1973年。その少し前の1967年には、スタインウェイ&サンズ社の業績がマイナスに転じている。つまり1967年以前に作られたピアノは、20世紀におけるスタインウェイ&サンズ社の製造環境と経営現場の「もっともよき時代」に作られた作品といえる。
サンケイホールの2台のスタインウェイ・ピアノは53年の歴史に醸成され、ヴィンテージと呼べる、価値あるピアノとなっていた。そして、創業者であるスタインウェイ一族の思想と技術が詰め込まれた、最後の時代のピアノとして、サンケイホールで数々の名アーティストと共演を重ねたのだった。
(M.I)
 
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